23歳 女の死生観 

死生観。

まだ23歳、されど23歳。

今日は私の死生観について、書きます。

 

 

死生観とは

 

死生観とは、死と生に対する見方をいう。

 「Wikipedia」より

 

死生観 – Wikipedia

 

生と死は、表裏一体なんですよね。

「どんな風に死にたいのか?」→「どんな風に生きたいのか?」が見えてきます。

この思考を軸に人生をどうしたいのか、考えると、、、

就活とか、転職したいとか、迷った時に役に立ちますよ。

 

死生観を意識し始めたきっかけ

①剣道

剣道を小3から社会人1年目まで、かれこれ、14年間続けていました。

 

小学生の頃は「強くなりたい!勝ちたい!」

中学生の頃は「美しい勝ち方をしたい!誰が見ても完璧な一本を打ちたい!」

高校生の頃は「骨まで切る!大将として無様な負け方はしない。」

大学〜社会人は「より、無駄のない動きを。」

 

こんな感じで、剣道に向かっていました。

中学生の頃は可愛いのに、高校生の時、ちょっと怖いですね笑

 

だけど、高校生の頃に大将という責任があるポジションについて、

考え方が変わったこともあるんですよね。

(剣道は中、高、大は、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5人制のチーム戦です。)

今までは「なんとか大将につなげる。」で良かったのが、

「チームが負けても大将として、勝たねばならない。」という思考がプラスされました。チームが負けたから、私も大将も負けていいではないんですよ。

 

チームが負けても、大将が勝つとそのチームに対しての見方が違うと思うんですよね。

「今回はチームとしてはまだまだだけど、伸び代がある。」みたいな感じで審判員や見ていた人からの見方がポジティブなんですけど、

 

「何よりも後輩に対して示しがつかない!」という気持ちが出てきました。

 

これは個人的な話ですが、

部活でも仕事でも、「こうなりたい!」って人がいないと

しんどいですよね。どこに向かえばいいのか。

 

私は口下手で後輩に指導はあまり上手くないし、言いたいことも

伝えられないし、でも、「最後まで諦めない、打ち続けること。」だけでも伝わればと思って試合に挑んでいました。

それでも負けるときは「絶対に前で打ったところで負ける。」と思い、

「怖くてビビって負ける。そんな情けない負け方はしたくない。」という気持ちで

いました。

 

 

この時、私の死生観は

「死」・・・「絶対に前で打ったところで負ける。」

「生」・・・「最後まで諦めない、打ち続ける。」 でした。

 

②武士道

「武士道」は剣道経験者なら、一度は「五輪書

と共に読んでいることもあると思います。

武士道 (岩波文庫 青118-1)

武士道 (岩波文庫 青118-1)

 

 

武士道を新渡戸稲造が書いたきっかけは

外国の方から「日本人は宗教がないのが不思議だ。」という疑問から

書いたという話があったような、なかったような。。。

 

日本には神道はあるけれど、キリスト教みたいな

宗教というものはない。だけど、日本人の心は統一感がある。

大和魂ってやつですよね。

 

幼い頃、おじいちゃんやおばあちゃんから聞いたことありませんか、

「お天道様に背中を向けるような生き方はしてはいけないよ。」

「正直者でいなさい。」とか、

 

そんな感じで口伝えで代々、伝わってきて、

それを新渡戸稲造が研究してまとめたのが「武士道」。

 

これには「どう生きるのかが良いのか。」「どう振る舞うのが良いのか。」など

が書いてあり、「お?これは剣道にも役に立つ!」と思い2、3回読んだ記憶があります。これも私の死生観に影響というか、剣道に影響していますけどね。

 

 

 まとめ

 今の私の死生観は

剣道+武士道+現状で作られています。

 

新卒で入った会社を辞め、現在派遣。このまま人生が終わるのであれば、死にたい。

生きているだけで無駄である。それは嫌だ。

もがく。もがけ。こんなところで、死ぬもんか。

絶対なんか、してやる。

 

そんで死ぬときは静かにすっと死ぬ。

人を恨むことなく、恨まれることなく穏やかに死にたいというのが今の私です。

 

「死」

・静かに穏やかに死にたい。

 

「生」

・人を恨まないように感情に執着しないように生きること。

 ・常に考えて、稼ぐ力をつけること。

・諦めない。やり続けること。

 

 これが、23歳の私の死生観。

もちろん、これを固定していくわけではないのですが、

自分の中で持っておきたい心の灯火です。

 

 

 

 

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